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蔵元は、米商人たちが仕入れを行なう際のこんな決まりを作った。
まず、米商人は手付け金として、蔵元に総代金の三分の一の敷銀(保証金)を支払う。
これに対し、実際の米を引き渡すまでの間の証明として"米手形"(一種の証券)を発行し、
この米手形を持参し、残金を支払えば米を引き取ることができるというもの。
すると店先にはいつも米商人が集まり、"米手形"を取引するようになったのである。
しかし、実際の米の取引ではなく、米手形の売買による差金取引を目的にした売買が
行なわれるようになり、幕府は「米相場を不安定にする」という理由で、米手形の売買を禁止した。
それでも米商人たちは堂島に移り米市を続け、やがて幕府にも価格の極端な暴騰・下落が
避けられる事が認められるようになり、1730年には大岡越前の計らいによって
堂島に「米相場会所」が設立され、米の転売買が公認されるまでになった。
世界に先駆けて公認されたこの堂島の【帳合米取引】(帳簿上だけで決済する先物)は、
現在の商品取引所の骨格部門をほぼ網羅していたといわれている。
これが商品先物市場のルーツなのだ。
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